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<<   作成日時 : 2012/03/12 23:45   >>

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震災にまつわる言葉について。


子供:「今日も寒いな〜、嫌だ嫌だ。」

親:「我慢しなさいよ、東北の人はもっと寒い思いしてるんだから。東北の人の気持ちになってごらん」


こういうやりとりに、強い違和感を覚えます。


東北の人は寒い思いをしている、紛れもない事実です。
そこに思いを馳せる、重要なことだと思います。


ただ、

不自由さにフタをするための道具として「東北」が使われるのはどうにも違和感があります。


何か不自由が生じるたびに「東北」でフタをする。

絶大な効き目があることでしょう。

「東北」には有無を言わさぬ力があり、それに逆らうのは並大抵のことではないからです。
「絶対的に正しいこと」にはそれだけの力があるからです。



不自由さにいら立つ。
そこに「東北」でフタをされる。
いら立ちは強制的にシャットアウトされる。

でもいら立ちは消えたわけじゃない。
心の中で静かに積もっていく。

いつしか不自由さへのいら立ちは、それにフタをするものへのいら立ちに変わっていきます。

こうして無意識に「東北」への負の感情が形成されていく。

例えば今後、「支援」という名の大義名分の元に計画停電が再開されるとする。

その意義を理解し、本当に必要性を把握している人にとっては何の問題もありません。

しかし、分別のつかない子供の場合。

「自らに不自由さを強いるもの」として「東北」が認識されたら?

「東北」を「アフリカ」に置き換えても大体同じことが起こります。やや使い方は異なれど、「ホームレス」等の言葉に置き換えることもできるでしょう。

それはとても悲しいことです。

あまりにも大きすぎる力を持つ言葉を使うとき、特にそれが「絶対的に正しいこと」である場合、使う側はその力を把握し、相手に必要性をきちんと説明して理解させなければなりません。

マイナスを抑え付けるためにより強いマイナスをぶつけていくやり方。
これは非常に危険なやり方だし、もしその効果を知った上で意図的に濫用するのなら非常に卑怯なやり方にもなります。


さらに付け加えるなら、他者から強要された同情は「相手を下に見る」という発想を子供に与えることにつながります。

「同情」は取り扱いの難しい感情です。
自然発生的に湧いてくる同情は相手への優しさにつながる可能性があるのに対し、外部から押し付けられた同情は人間関係における優劣を背景にした、優しさには程遠い「差別」の感情につながっていく可能性があるからです。


言葉に対して常にアンテナを張っていくこと。
こんな時代だからこそ重要なことです。



なにしろ、僕は「絶対的に正しいこと」に恐怖を感じます。
世界史において「絶対的に正しいこと」が悲惨な結果を生んだことは周知の事実です。


それでも人は「絶対的に正しいこと」を求めます。

最近の日本人にその傾向が強い、という話もあります。
それが本当なら、学校のせいかもしれません。


一つしか正解のない世界。


学校のことはおいといて、たとえばボランティア。


著名人が被災地に寄付した金額の大きさが話題になる。

億単位の募金が正解で、万単位の募金は不正解。


支援の仕方が話題になる。

被災地に足を運ぶのが正解で、行かないのは不正解。


おかしな話だと思います。

「正解がない問題もあり得る」という可能性を考えられない。


「未曾有の事態」に直面してすぐに正解がわかれば苦労しません。
経験したことがない事態だからこそ、手探りであるかどうかもわからない正解を探すのです。

これだけ大きな事態なのだから、正しいか否かは今わかることではなく、時間が経って振り返った時にわかるはず。


手探りしながら答えを見つけようとする人にならなければ、と思います。

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